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伊達に伊達臣人という名前が宿る前、
伊達はどこにもいなかった。

誰も伊達を呼ばないし、誰も伊達を知らないから。
信者がたった一人きりの宗教のように。
伊達はどこにもいなかった。

誰かに名前を強く呼ばれたいと願うのは、誰かに一度でも名前を呼ばれてからで、
今誰にも知られていない少年の伊達は、そんな事すら思わずに夜を歩いている。
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0503
23:56

伊達は携帯電話を手にとった。

23:58
携帯電話の電源を切る

0504
0:00になったろうか
電源を切ってしまったからわからな





携帯電話が鳴り始めた
ディスプレイには

【桃】

こうなりゃなんでもありだなてめぇは、伊達は小さく呟いた。
伊達の周りに砂糖菓子をいくつも並べたいな、と桃は思っている。
今まで苦しい辛い厳しい事ばかりで満たされぬ男だったから、せめて甘く眩しい柔らかいもので囲んでやりたいと考えていた。
伊達はよく、水面を歩く桃の夢を見た。
伊達はそれを誰にも言っていない。頬がむずむずする。


自分は泥沼中でただ立っている。泥といっても汚泥で、異臭をはなっている。
腰の辺りまでつかって、身体を冷やしているのだ。
その泥の中に突っ込んだ足はなにか草の根なのか、それとも泥なのか、ともかくつかまって身動きができない。
本気の抵抗を試みれば泥の水面がかすかにゆれる。

遠くから桃が歩いてくるのだ。ひたりひたりと桃が歩くたびに、汚泥がすんだ水へと変じていく。
すべての泥を夢のように美しい泉へ変えながら、桃が伊達の前へと立った。
泥に沈んでいた伊達を、桃は水面に立って見下ろしている。

何も言わない。
伊達も何も言わない。そのうちになにかあまい素直な気持ちが伊達の胸にさっと生じて、桃へと手を伸ばす。
すると桃はその手に、一輪の蓮を握らせるのだ。

目覚めると昨日まで煙草臭かった部屋の空気が澄み切っていて、残り香のような神聖さがただあった。
邪鬼が見合いをすることになった。
当然のように相手は日本有数の良家の子女で、気立てのやさしい美しい女だった。
元三号生の誰もが当然のようにハンケチをかみ締めたあと、
「おい、影慶がいないぞ」
恐ろしい事に気がついた。
影慶、
邪鬼の腹心にして同志。
もっとも邪鬼に近しくて、もっとも邪鬼に心酔している。
神に接するようにというにはなまなましい想いはダダ漏れである。

「影慶、気を落とすな」
羅刹が気遣ってそう言うと、いつもより目陰くろぐろたるまぶたを弾いて、
「いいのだ、俺は一生日陰の身でも」
などと健気な事を言う。羅刹は思わずぐっとなった。
「あまりそういうことを言うな」
「……いいのだ、俺は子も生めん、どこの馬の骨ともわからぬ」
「影慶」
「妾でもいい、お側に居られれば」
「影慶、」
羅刹は胸が熱くなるようだった。




もちろんと言うと羅刹には気の毒だが、もちろん邪鬼と影慶の間にそうした付き合いは無い。
ただ時折邪鬼の指から蜂蜜をなめとったり、足の甲へ額をつけたり、それだけである。
「あいつたぶんさ、」
卍丸が言った。
「たぶん、『日陰の身』とか、『妾』とか、ああいうシチュエーション大好きなんだろ」
「陶酔型だな」
「ああ」


「一生表立ってあの方のお側には侍れぬわが身、それでも恨みはいたしますまい…ああ…!!」
影慶は身悶えせんばかりに身体をよじりながら、一際高い声を上げた。
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